節分、本来は4つあるんですよ。書いて字の通り、季節の分け目のことですから。立夏、立秋、立冬にも節分はある。
なのに春だけ、行事を行うのは、やはり一年のはじまり、肝心要ということなんでしょうね。昔の人たちは、この分け目から、邪気は入り込んでくる、と信じていました。
邪気の化身が鬼。この鬼を追い払うのに使われるのが炒り豆。水無月のときに食べる小豆もそうですが、昔は豆には邪気を払う霊力があると考えられていました。節分に限っていえば、まめは魔目とも書ける。それを炒るということは、鬼の目を射る、という意味も込められているようです。
さて京都でもあちこちの神社で、その神社ゆかりの節分の豆まきが行われます。なかでも変わっているのが、吉田神社の節分祭。2日の夜に行われる、追儺式(鬼やらいの神事)は、少々、おどろおどろしている。もともと節分の儀式は、平安のはじめ、宮中で大晦日に行われていた追儺式にある、といわれています。そのオリジナルの儀式を垣間みることができるのが、この吉田神社の追難式です。
山伏の法螺貝の音が轟くなか、四つ目仮面の方相師と童たちが、本殿前に結集。鬼は金棒を振り回し、一方の方相師は、陰陽師の祭文を読み上げ、という構図。止めに、殿上人が桃の弓で葦矢を放って終わります。
京都というのは、千年の歴史を、伝承される祭事に見ることができる。本を紐解かなくとも、暮らしながら、身についていく季節の作法があるような気がします。
だって東京に住んでいる頃は、私、豆まきすら省略していたんですから。それが白味噌を使った節分ゆかりのお菓子まで、手作りするようになった。節分の日にだけ、販売される法螺貝餅。今年はこれを真似して自分で作ってみることにしたんです。
楕円に焼いたふのやきで、細く切った牛蒡と白味噌餡を斜めに包み上げ、法螺貝の形を模したものなんですが、ふのやきと白味噌餡の上品な甘さが、妙に合うんです。
法螺貝巻きに手こずり、途中で春巻の形に変更になりましたが、いいんです。大事なのは豆の霊力。白味噌餡は、白豆と白味噌で、豆の霊力2倍です。春を巻き込むように包み、胃の腑に入れるなら、法螺貝などなくとも、今年一年、無病息災に暮らせるはず。そんな言い訳を夫にしながら、わが家、今年も無事に、立春大吉。春を迎えたのでした。
ふのやき(麩焼)
小麦粉を水でとき、薄くのばして焼いたもの。片面に味噌をぬり、巻いて食べる。
撮影=久保田康夫









